第8投函

大学構内の桜は外のそれより咲くのが随分早いから、今頃はもうほとんど散ってしまったろうと思います。これから陳列館の裏手の八重がきれいに咲いて、そうしてじきにヤマボウシが見頃を迎える季節がやってきます。図書館の北向きの窓の近くに座るとよく見えるので、そこが私の特等席です。前にお話しましたでしょうか。多分お話ししていませんね。

お元気でいらっしゃいますか。私は元気です。学年が上がったので、南側のキャンパスに行くことは滅多になくなってしまいました。行ったところであなたがいないので、あまり楽しみがありません。今度の方はえらく立派な制服を着て、テキパキと交通整理なんぞされています。ああ、いえ、なんぞ、なんて、これは流石に失礼な言い草です。きちんと職務を全うしてくださってるのに。私はその方に、まだ挨拶することができません。

大学に入ってからというもの、たくさんの人と目が合ってはすれ違い、一、二度言葉を交わしてはそれきりになりました。はじめの方こそ寂しい気持ちもしたけれど、そんなものかと徐々に悟られてきて、「去る者追わず」なんて便利な言葉も覚えましたが、振り返ってみればやっぱりあの時、もっと踏み込んでみればよかったと、わずかに思う相手が幾人か、しかし確かに、いる気がします。

今はどうしていらっしゃいますか。お孫さんと一緒に楽しく暮らしているのですか。それともお一人で、静かに生活しておられるのでしょうか。ご家族がおありなのかどうか、それすら私は知りません。一度でいいから立ち止まって、「今日はえらく冷え込みますね」とかなんとか、言ってみたなら違いましたか。違ったかもな、と思うだけです。

ヤマボウシの見頃には、プロムナードの緑も飴細工みたいにつやつや光ります。道行く学生の顔もまた、ほんの少し眩しく見えるでしょう。世の中が落ち着いたら、お散歩にでもいらっしゃってください。きっと随分気持ちがいいです。私たち多分もう、会うことはないです。

 

令和2年4月11日

第7投函

「このままじゃいけねえ、頑張らんとなア」が口癖で、今日も「頑張らんとなア」と思いながら9時くらいに起きて、「頑張らんとなア」と思いながらジャムを塗りたくったトーストと白飯となめ茸ののめのめを食ってたら、いつの間にやら八つ時でした。時間の流れがはやくって恐ろしいです。恐ろしいので布団をかぶってブルブルしてたら眠たくなってきて、本格的に眠り込む前にと慌てて書いています。毎度のことながら、特に言うべきことはありません。

なめ茸は父方の祖母から送られてきたものです。月に一度の仕送りは、21歳女性の胃腸と我が家のちまっこい冷蔵庫には荷の重い量で、勿論ありがたく思う一方、やや辟易しています。家のシンクの下には今、らっきょう漬けの瓶詰が四本、アスパラガスの缶詰が五本、メンマの瓶詰三本、ほかにも松前漬けの缶詰やらイチジクジャムやらマーマレードやらがごろごろ突っ込まれています。いずれも賞味期限は知れません。今回、ジャムとメンマとがひとつずつ追加されました。これだけあればデカめのエマージェンシーに見舞われても安心です。シンク下のブラックホール化はどんどん進行しています。

こういう瓶詰・缶詰の食品は、当然サイズにもよるのですが、大概独り身にやさしくありません。例えばそれこそなめ茸なんて、ごはんに少し添える程度、ちょっと食べられたら満足なのだけれど、一度開栓したが最後、数日のうちにとっとと食べてしまわなければなりません。別にとり箸を用意せねばならんのも、洗い物が増えて地味に憎々しい。心が狭いとお思いですか。今度なめ茸とらっきょうを三瓶ずつ送ります。

そういうことを考えながら、ぼうっと昼飯を食べていました。家の目の前にバス停があって、数分おきに遠くの方から、「まもなく**号系統が参ります」と明朗快活な女の人の声(彼女は毎日毎日どんな天気の日にも一律に同じ調子でアナウンスを行うので、大変感心です。真の働く大人だと思います)、少し間を空けて「扉が閉まります」と今度は男性の声、それからぷー、ぱーと間の抜けたドアの開閉音が聞こえます。ここのところずっとうららかな晴れの日つづきで、今日もカーテンを開けると黄色味がかった甘ったるい光がよく入って、陰気な蛍光灯がだんだん厭わしくなってきて、消しました。電気の消えた昼間の青い部屋が好きです。今日は教科書を買いに出ようと思っていたのですが、どうやら行けそうにありません。次の月曜日にでも行こうと思います。

「頑張らんとなア」と思います。夜は痛みかけの不知火(これも送られてきたものです)でマーマレードを作ろうと思います。呆れて怒るあなたの顔がまざまざと浮かんできて恐ろしいです。恐ろしくなったので、布団をかぶってやり過ごします。それにしても今日は天気がいいです。それではまた、近いうちに。

 

p.s.

言われていた国木田独歩の「武蔵野」読みました。食わず嫌いは損ですね。いずれワーズワースにも挑戦したいです。できれば原文で。ともかくありがとう、取り急ぎ。

 

令和2年4月10日

第6投函

先日はおいしいご飯をご一緒させていただいて、どうもありがとう。私のかいた落書きを随分褒めてくれて、嬉しかったです。普段ほとんど使わないIllustratorを一年間契約していたのは、あの瞬間のためだったのだと思います。誰をモデルにしたのかは内緒ですが、私はその人の耳のかたちがひどく好きです。

この前話したかったいくつかのことを、後から思い出したので書いてみます。好きな食べ物はカレーと言ったけど、正確に言えば好きなのはカレー屋さんで、もっと言うとインドカレー屋で出てくるナンとラッシーです。ビールは飲むけどそれ程好きなわけではなく、一番は赤玉ポートワインに牛乳を混ぜたやつです。でもビールを飲む人は好きだし、ビールを飲む人と一緒にいるのも好きです。最近見た中で一番グロテスクなものは、成長しはじめたじゃがいもの芽です。大急ぎでえぐりとって皮をむいて、蒸かしてつぶして練って焼いて、おいしい芋もちにしてやりました。ざまあみろ、と思いながら食べました。私はかなり残酷な人間です。

BUMP OF CHICKENは、去年あたりからまた聴けるようになりました。中学の頃からずっとファンですが、1回生の終わりころ、「身体にあわない」と感じてから、一時期聴けなくなりました。自分の方から近寄って同化しようとする代わりに、「こういう歌を歌うバンプが私の外側にいるんだなあ」と思えるようになって、それからは随分いいです。「くだらない歌」とか「宇宙飛行士への手紙」とか「サザンクロス」とか「トーチ」とか、よく聴きます。今度一緒にLIVEに行こうと約束しましたが、いつになるでしょうね。できるだけ早く行けるといいです。

あなたがあの時迷っていたことに、自分できちんと決着をつけたらしいと、風のうわさで聞きました。やはりあなたはとても聡明な女の子だと思います。私にはロクな助言ができなくて、せいぜいあなたがお腹いっぱいになるまで、これはどう、とかこれもおいしそうよ、とか、おどけて提案しつづけるくらいです。これを読んでいるあなたが今もお腹いっぱいでいてくれたらいいと思う。

今度遊びに来ませんか。狭くて小汚いところだけど、それでもよければ。では、またね。

 

令和2年4月8日

 

 

第5投函

昼と夜との寒暖差がひどくて参ります。日中は随分暖かくなってきたけれど、夜、のどが渇いたから飲み物を買おうと思って、寝間着にマフラーだけ巻き付けて家を出ると、信号待ちで風に吹きつけられて思わず足踏みをします。昨日は月が真ん丸で、空がとても明るかったです。

このお便りも毛布にくるまりながら書いています。うちは東向きの二階なのですが、どうも底冷えがして、昨晩はもう4月だというのに思わず暖房をつけました。そちらはここよりずっと北ですから、これよりもっと寒いでしょう。空が広くて、月や星がよく見えるでしょう。

ついこないだ『羊をめぐる冒険』の上巻を読み終えたので、北海道の緑の牧草地に、むやみやたらと憧れます。村上春樹とは今まで全然縁がなくて、去年『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んだ以来だから、これで二作目、文庫本にして三冊目です。「僕は窓から射し込んでくる午後の光を手のひらに受け、それを彼女の頬にそっと置いた」というところが一等好きです。我ながらベタベタだと思います。

下巻はユーズドでいいやと思って、近所の商店街の古本屋を二軒まわりましたが見当たらず、江國香織の『間宮兄弟』と、アガサクリスティーの『火曜クラブ』と、ちくまから出ている古典落語の本を買いました。あとの二冊はいつ読むことになるか分かりません。そもそもまだ読んでいない本が家に何冊かあるのです。二年、三年モノの熟成品も。暫く本屋には行くべきでないのではないかと考えたりもしますが、「今読みたい本が読むべき本」をモットーにしているので、あまり気にしなくていいと思っています。

そう、下巻の代わりに、牛乳を買いました。いつもより10円高い牛乳と、いつもより30円高い食パンを買って帰りました。今朝冷蔵庫から取り出して、青い空に緑の草っぱらが牛乳らしくきちんと印刷されたパッケージを見て、改めて牧草地に憧れました。どれだけ走り回っても叱られなくて、どれだけ大声で歌っても迷惑かけなくて、周りにいるのは牛大勢と少しの羊だけで、昨日と今日と明日の、あるいは私の内と外の境目が、全部どうでもよくなって、今とその場所しかなくなるような、そういう、気持ちのいい牧草地。実際の所はどうなんだろう、多分フンとか沢山落ちてて、例えば寝転がったりしたら悲惨な事になるんじゃないかしら。しかしそういう予想は、私の憧れに何ら影響を及ぼしません。

夏になったらそちらに伺いたいです。乳製品でお土産によさそうなもの、買って帰るので見繕っておいてください。乳製品はずっと好きです。

 

令和2年4月7日

第4投函

久しぶり!元気だった?10年前に年賀状をやりとりして、それきりですね。今はどこで、何をしているんでしょう。私ですか?勉強して本を読んでテレビ見てご飯を食べて、まあ、あれからそんなに変わりません。少し怠け者になりました。

最近は金曜ロードショウでジブリをやってますね。先々週が魔女の宅急便で、先週が思い出のマーニー。私は千と千尋の神隠しが見たかったんだけど。去年の夏ごろ放送されてたから、暫くはやらないだろうと思います。

うちの母の厄介な癖として、立て続けに何度も同じ思い出話をするというのがあります。一回目はいいんです。昼ごはん食べながら「そんなこともあったわね」と相槌打っておけばいいし、実際懐かしい気持ちにもなる。これが、おやつの時間、夕食の時間、翌日の朝ごはん、と続くとどうしようもありません。妹はちゃんと返事をするし、「こんなこともあったよね」って会話に発展させます。偉いです。祖母は正座してお茶碗からご飯を食べながら、「何回も同じ話をしなさんな」。以上です。祖母の事は大変好きですが、正直娘でなく孫として生まれてよかったと思います。私はというと、テレビから眼を放さずに「ああ」「うう」と声にならない声で相槌の代わりにします。

母の思い出話にはいくつかレパートリーがあって、そのうちの一つが、あなたのことです。「**ちゃんは千と千尋のあれ、ハクに似てるって、言われてたわよね」。これだけです。本当にこれだけ。これ以上の発展はありません。しかも「ハクに似てる」って言ったの私じゃないし。一緒に集団下校をする同級生の中に居た、おかっぱ頭の男の子のセリフです。

お陰で私はあなたが引っ越した後も、千と千尋の神隠しを見ると、あなたのことを思い出します。どう見たって髪型以外、ハクには全然似ていなかったあなたの、切れ長の目元とか少しとがった口もとを思い出します。物心がつくのが遅かったので、あなたと何を話したかとか、あなたがどんな性格だったかとか、正直何も覚えていませんが、名前と顔とハクのことだけは、恐らくこの先も忘れない気がします。私たちは一番の仲良しだったみたいですね。それだけです。じゃあね。

 

令和2年4月6日

第3投函

朝起きて風呂に入って体を洗って、こんなところにホクロがあったっけなあと考えながら指先でいじくってたらポロリと取れて、洗面台に放ったところ勝手に動き出したので、不思議に思ってよく見たらちょっと赤っぽい足が何本か生えてる気がして、何か思いついてしまう前に最大水圧でシャワーを浴びせかけ、感情も一緒に排水口へと押し流しました。無用の殺生はしない主義なので、その一点が気になっています。このせいで死んだ後は地獄行きかもしれないと思ったら、少し嫌です。

初っ端からすみません。なにぶん、あなたに手紙を書く日が来るとは思ってもみなかったので、何を書けばいいものか、まだよくわかっていないのです。あなたと偶に会うときは大抵、私ばかりが喋ってしまって、それも段々つまらない話や、一度したような話ばかりになってくるので、いつも申し訳なくなってきます。「自転車は乗れないんじゃなくて、立派に漕ぐことはできるんであって、操れないだけ」という話、毎度毎度聞かせている気がします。気づいていましたか。

私が私の話をするのは、私の話をしたいというより、あなたの話が聞きたいからです。中学の頃に友達二人が、放課後のゴミ捨て場あたりだった気がするけれど、楽しそうに喋ってるところを見かけて、割り入って(今考えると随分な度胸だと思いますが)「何話してるの?」って聞きました。そしたら彼女らちょっと困ったように笑い、「だって、**は何も教えてくれないからなあ」と言って、その後一緒に帰ってくれました。当時の私は若干憤慨しながら、「情報とは等価交換されるものなのだ」と学びました。

あー、またつまらない話を長々と。つまり、これだけあげればこのくらいもらえるかしら、もらっても許されるかしらと、はしたない皮算用をしているわけです。しかしあなたは私の計算を見事に裏切って、いつまで経っても聞き役に徹してるもんだから、私が小賢しいやつにならずに済んでいます。ぎりぎりです。ぎりぎりでいつも生きています。何を言っているかわかりませんか?私にもよくわかりません。

だけどもやっぱり、あなたの話もきちんと聞いてみたい気がしますので、こいつへの返信を出す気になったら、是非そこに書きつけてください。短くて良いです。

……いや、「別に何も話すことないけど」と眉をひそめるあなたが容易に想像できたので、一つお題を出しておきます。ヤドリギとか、コバンザメとか、大きな生き物に宿って生きているあいつらのことを考えたことがありますか?(寄生という言葉は使いたくありません)私は今朝初めて考えました。何か思いついたら教えてください。

 

令和2年4月5日

第2投函

ハロー、グッモニ、お元気ですか。数えてみたら、もう26日も会っていないことになりますね。また無理なダイエットを決意して、500グラムも減らないうちからストレスでヤケになって食べすぎたりしてないといいけれど。あれから少し考えましたが、次の日からダイエットするからといって、サーティーワンのアイスケーキをホールで食べるのは、やっぱり無茶だと思います。体を大事にしてください。食べたらYouTubeに動画をあげてください。

私の今日の夕食は、人参の肉巻きとかぼちゃを煮たのと冷凍しといた豆ご飯で、結構お腹いっぱいになりました。食後には桜餅を食べました。近所の和菓子屋甲はとても人気があって、いつ見てもすごい行列です。お彼岸の時期なんかは道路を挟んだ向こう側にまで並ぶ人が出てくるくらい。で、その近くにはまた別の和菓子屋乙があって、そっちはそうそう混まないのですが、和菓子屋甲の定休日に限って、にわかに賑わいを見せます。次の日になったら、元どおりの静かな和菓子屋乙で、店員のひとが小さい子どもをあやしたりしています。私が今日食べたのは甲の方のでした。人並みにミーハーで、今日は定休日ではなかったからです。甘すぎないあんこが美味しかった。

そうそう、最近カメラを買われたそうですね。この前LINEで送られてきたふかし芋の写真は、お皿の端っこが切れてたり、何というか正直、あなたが言うほどにはピンときませんでした。だけど最後から3番目の桜の写真はとても綺麗で、ため息が出ました。夕暮れ時の雲の色は桜と同じ色をしてたよなと、あれで初めて気づきました。ありがとう。また何か撮ったら見せてください。

これもさっき気づいたことですが、お腹いっぱいになったあと、腹鼓をうつ癖があります。低くくぐもった、味のある音が出ます。恥ずかしいのでやめたいです。口が半分開く癖も、最近マスクをしているせいで再発しつつあって困ります。

今度また、本格的に気温が上がってきたら、おいしいアイスクリームでも食べに行きましょう。もちろん適量の、一人分のアイスです。それでは。

 

令和2年4月3日