第8投函

大学構内の桜は外のそれより咲くのが随分早いから、今頃はもうほとんど散ってしまったろうと思います。これから陳列館の裏手の八重がきれいに咲いて、そうしてじきにヤマボウシが見頃を迎える季節がやってきます。図書館の北向きの窓の近くに座るとよく見えるので、そこが私の特等席です。前にお話しましたでしょうか。多分お話ししていませんね。

お元気でいらっしゃいますか。私は元気です。学年が上がったので、南側のキャンパスに行くことは滅多になくなってしまいました。行ったところであなたがいないので、あまり楽しみがありません。今度の方はえらく立派な制服を着て、テキパキと交通整理なんぞされています。ああ、いえ、なんぞ、なんて、これは流石に失礼な言い草です。きちんと職務を全うしてくださってるのに。私はその方に、まだ挨拶することができません。

大学に入ってからというもの、たくさんの人と目が合ってはすれ違い、一、二度言葉を交わしてはそれきりになりました。はじめの方こそ寂しい気持ちもしたけれど、そんなものかと徐々に悟られてきて、「去る者追わず」なんて便利な言葉も覚えましたが、振り返ってみればやっぱりあの時、もっと踏み込んでみればよかったと、わずかに思う相手が幾人か、しかし確かに、いる気がします。

今はどうしていらっしゃいますか。お孫さんと一緒に楽しく暮らしているのですか。それともお一人で、静かに生活しておられるのでしょうか。ご家族がおありなのかどうか、それすら私は知りません。一度でいいから立ち止まって、「今日はえらく冷え込みますね」とかなんとか、言ってみたなら違いましたか。違ったかもな、と思うだけです。

ヤマボウシの見頃には、プロムナードの緑も飴細工みたいにつやつや光ります。道行く学生の顔もまた、ほんの少し眩しく見えるでしょう。世の中が落ち着いたら、お散歩にでもいらっしゃってください。きっと随分気持ちがいいです。私たち多分もう、会うことはないです。

 

令和2年4月11日