第12投函

「お元気ですか。お元気ではないのではないですか。そんなこともない?なるほど。蒸しパンでも食べますか。あまり甘いのはお好きでない?なるほど。

実際にはそんなふうにはいきません。というと?えーとつまりね、元気ですかと面と向かって聞くこと、かなり困難ではありませんか。私にはとても難しいです。もし仮に、相手がこちらの予想に反して元気100%であった場合、「元気?」と聞かれれば「元気」と答えざるを得ず、さすれば聞いた方は「ああ、ならいいけど」とちょっときまり悪そうに引っ込めて、だけどどうしてそんなこと聞くんだか、聞かれた側は気になるじゃないですか。「何でもないよ、ただ何となく」と言われたって納得がいかない、何かあるから聞くわけじゃないですか。かと言って具体的に、「元気なさそうに見えたから」と言われると、どうしてそんな風に見えたかな、とこれまた気になる。もしかするとこりゃあ自分では気づいていなかっただけで、何か自分は本当に落ち込んでいるのかも知れないと思う。そういえば昨日学校からの帰り道、お気にのリラックマのキーホルダーを指先で弄んで歩いてて、案の定すっ飛ばして側溝に落っことし、リラックスもクソもあったもんじゃない、ぐしょぐしょに濡れそぼった気の毒なクマの子を連れて帰ったんだっけ。あーそれだけじゃない、洗って干してあるクマを見た母親から事情を聞かれて、何の気もなく経緯を喋ったら「鍵を振り回して歩く」のポイントに引っかかられて、あんたまたそんな行儀の悪いことをウンヌンと、小一時間怒られたんだっけ。他にもそういえば一昨日は……という具合に、づるづると芋づる式に悪いことばかり思い出されて、結局本当に落ち込んでしまう。そういうことがありうるやもしれません。人はこれを「落ち込みの再生産」という。下手くそめって?うるさいなあ。なんかいい案あったら寄越してください。

じゃあ本当に元気がない相手に「元気?」と聞く場合。これはあれですね、元気のない相手に「ちゃんと気づいてるよー」って合図を送ることになるわけで、それで実際、いくらか安心する人、救われる人というのはいるでしょう。しかしこれもまた、いつもうまくいくとは限らない。これはほとんど自分の経験則のみに基づく話になりますが、元気でないときに「元気?」と聞かれると、本当に元気な時と同じように「元気」と答えちまうことが大半です。口にできる心配や不安ならもうとっくの昔に喋ってるわけで、そうじゃないから黙っています。だから声をかけてもらえるのは本当に有難いんだけど、結局答えられるのは「元気」の一言、ということになる。周りに心配かけてることに気づいて、ますます落ち込む。また、聞いた方だって元気でない人の「元気」って、表情とかトーンで、結構わかるものじゃないですか。でも「元気」と言われてしまった以上、それより先に踏み込むにはなかなかの勇気が要ります。そこからどういう方向に、コミュニケィションを発展させるべきか。こっちのパターンも、わりに難しいんだな。

どうしたもんでしょうね。こういうつまらないことでいつも悩みます。聞きたい時も、聞かれる時も。みんなどうしてるんでしょうね。ああ、コップが空いてますよ、まあ一杯。酒はないので紅茶で悪いけど。砂糖は……要らない。なるほど。

その点、手紙はいいですね。「元気ですか?」と聞いた上で、答えも聞かずに話を進めて、勝手に「私は元気」ですからね。ンなこと聞いてないよってね。でも実際、聞きたいだけって時は、結構あるよなと思う。LINEその他のSNSだと、やっぱり会話に近いのでさっきみたいな問題は生じてしまう。それが悪いって言ってるんじゃないんですけど、なんかこう、適当というか、さりげないじゃないですか。手紙の方が。私は手紙が好きですね。適当なのが一番好きです。

でもね、勿論、そういう困難さをわかっていて、ぎこちなくなることは承知の上で、聞かなくちゃいけない時っていうのも、あるよなあと思うのです。そういう瞬間の訪れを、よーく目を凝らして注意深く、見極めなければならないし、見逃してはならない。手は届くうちに伸ばさねばなりませんからね。……あー、いえね、何でもないです。え?元気ですよ、私は。

ところであなたは近頃どうですか。元気ですか?ね、ほら、答えづらいでしょう。そうでしょう。さっきみたいな話をした直後だということもあるでしょうがね。……そうですか。そんならよかったけども。いえ、別にどうという理由もないですが。

蒸しパン食べますか?やっぱり食べる?そりゃいいや、昨日作って冷蔵庫に入れておいたので、ちょうどしっとりしておいしくなってる頃だと思うんですがね」

 

令和2年4月23日