第10投函

3月のライオン』という漫画が好きです。若い棋士の男の子を中心に据えて、彼の周りの一癖も二癖もある人びとを丁寧に、愛嬌たっぷりに書き上げる作品です。

その中に、滑川という棋士が出てきます。ナイトメアビフォアクリスマスのキャラクターから、油分と生気を抜き取ったみたいな見た目をしていて、彼が登場するとその場の気温が急に下がったり、さっきまでいい天気だったのに突然雨が降りだしたりします。この人は葬儀屋の息子でもあって、跡を継いだのは弟さんなのですが、たまに家業を手伝ったりもします(だからいつも喪服みたいなスーツを着ています。これがバッチリ似合ってる)。

この滑川氏の弟さんの台詞に、ちょっと不正確ですが、「自分もいつかは死ぬんだって事を忘れていられることが、人間に与えられたちっぽけな権利のひとつなんじゃないか」というのがあります。初めて読んだ時、何だかやたら感じいってしまって、その後も時々思い出します。ああ今、死ぬこと、完全に忘れてたなあ、と思うのです。

こういうご時世にあって、忘れることには変わりありませんが、思い出す頻度がちょっと増えました。子どもの頃ほど差し迫った恐怖は感じられなくて、鈍磨してしまった自分を思い知らされるような、あるいは少しは賢明になれたような、複雑な気持ちがします。今日は夕飯の時、やけにしょっぱいサバ味噌を食べながら、塩サバでサバ味噌を作るもんじゃないのだと気付いて、この次作るときは普通のサバの切り身を使わなくちゃと思ってそれから、ああそういえば私もいつか死ぬんだっけな、と思い出しました。……えーと、少し不安になったので言っておきますが、私は至極元気ですから、心配は無用です。毎日腰に手を当てて牛乳飲んでるし。腰に手は嘘です。

生き死にのことについてあなたはよく口にするけれど、私にはまだあまりよく分かりません。言えることがあるとすれば、上に書いたようなことだけです。「生きてるうちに出来るだけ」とか、そういうのもよく分からない。そんなことを言い始めたら、私なんか今食べておくべきものがありすぎて、ぶくぶく太って余計に早死にすると思います。忘れてられることこそ特権なのに。覚えているのは大変だし、自分ひとりだけ覚えているとなればもっと大変です。特権を存分に享受して、忘れて呑気に過ごせるんなら、その方がずっといいらしいと、私は考えます。

ただ一つ、やっぱり、会いたいですね。身振り手振りをめいっぱいつかったり、目くばせしたりそらしたり、とにかく直に話がしたいと思います、出来るだけ何度も。あなたにも沢山会えるといいです。生きてるうちに、です。それこそ。

 

p.s.

今一番食べたいものは、みたらし団子と生麩の田楽とベビースターラーメン丸です。よしなに。

 

令和2年4月15日