第13投函

遠くの音に耳をすませて、どうにかこうにか聞こうとすること。聞こえてくる音、はっきりとわからない何らかの音に、まるきり感情を任せてしまうこと。最後にしたのはいつですか。ついさっき気づきましたが、私はそういうの、しばらくしてない気がします。

すぐに思い出せるのは、高校の時の宗教の時間です。はじめに五分だか十分だか、姿勢を正して黙想する時間が設けられていて、終わった後で、何がしかノートに振り返りを書かされます。毎週同じ時間に黙りこくって目をつぶって、特別何を思うということもないのです。ないけど一応書かなきゃいけない。テストの前は勉強のこと、進級間近には今後の抱負、というように、大抵その時の懸案事項を煩悩たっぷりに書きつけていましたが、本当に何も浮かばない時は、聞こえたものを兎に角書き出しました。聴力最大出力で、隣でやってる授業の先生の声から階下の教室の喧騒へ、外を吹く風の音からもっと向こうの校庭の声、とんとんと耳だけで遠くに飛んで、終わりの方にしゅるるっと、例えば後ろに座る子が、椅子の上でもぞもぞした時に立てる衣擦れの音に戻ってきます。みんなは面倒くさがってたけど、私はあれを書くのが結構好きでした。

あとは、風邪をひいて学校を休んだ冬の日、居間に敷いた布団の上で、眠くもないのに横になって、買い物に行った母親の帰り、もとい昼ごはんを待っている時間です。祖母は別の部屋で寝起きをしていて、昼間はまだ起きていないか、布団の上で手首腕の体操をしているので、私はひとりきりです。電気は消しているけれど、障子を通して昼の光は入ってくるから、部屋の半分がぼうっと白くて、何となくしんとしています。「かきねのかきねのまがりかど」子供の歌声が聞こえてきます。「たきびだたきびだおちばたき」無論録音テープの放送で、走っている車が流していることを、私は知っています。それ以上のことはわかりません。あれは一体何なのか、あなたはご存知ですか。私は何となく知りたくなくて、調べたことがありません。聞くならスマホの画面じゃなくて、あなたの口から聞きたい気がします。同じ理由で、すあまというお菓子のことも、一度も調べたことがありません。淡い桃色のすべすべしたお餅みたいやつを想像しています。素朴な米と砂糖の味です。

今、これを書きながら聞こえてくるのは、家の目の前の大通りを走る車の音です。いつもはもっとぎゅんぎゅんびゅうびゅう騒がしいのですが、今日は往来が少ないのか、何となく途切れ途切れで、耳の中のキーンという音と順繰りに聞こえます。しかしここはやはり、少し騒がしいですね。そちらの方はどうですか。ここより静かな場所だといいです。

 

令和2年4月28日