第15投函

わざわざ言うまでもないほどの特別さということがあります。ことさらに強調すべきでない嬉しさや悲しさがあります。体操座りで黙って隅の方にうつむいていて、それだけで十分、おやつに手作りチーズケーキが出てくるくらい素晴らしい。だのにいちいちこちらを伺うようにのぞき込んで、どう?って聞きます。上出来の情動?そうでしょう、そうでしょう。私たちはいつも褒められたい。褒められるたびにどんどん不安になって、もっと思い切り首をかしげるから、そのうちぽろりと体から零れ落ちて、河を流れていつか海に出ます。そこで永遠にお別れです。また会うことはありません。

何だかずっと叫びたい。白けた面持ちでバスを待っているその瞬間だって、本当は地団駄踏んでたい。何で私はバス停でもなく、バス停のベンチでもなく、バスをまつおじさんの歯を掃除するつまようじでも、つまようじより奥、食器棚のずっと奥の方に息をひそめるマグカップでもなく、ましてや水でも鳥でも光でもなくって、こうやってバイトに行くためにバスに乗ろうとしているのかしら。部屋の中でペンをとってる瞬間も、本当は、周りに堆積した紙、布、プラスチックの類を全部窓から押し出して、落っことして、後はもう、往来の人々の迷惑気な顔とか犬の鳴き声とか、全部知らんふりして部屋に戻り、またペンをとる。そういう風にしたい時はないですか。そういう時がわりにあります。現に私は今こうやってめちゃくちゃに叫んでいます。胸に大きく息を吸い込んで、声帯をブルブル震わせるかわりに、PCの画面を真面目に見つめて、ガチャガチャとたいそう下品にタイプ、タイプ、タイプ!でも本当に大声出せた方が、どれだけいいかと思います。

わざわざ言うまでもないほどの特別さということがあります。ことさらに強調すれば切実さを減じてしまう嬉しさや寂しさがあります。それは十分、十二分に分かっているのに、どうしてこんな風に、伝えたいって思うんだろう。見せびらかしているみたいで、浅ましいって、言いますか?よく分からない。分からない。分からない。分からないことが随分多い。分からないままで節分の残りの豆を臼歯ですりつぶす。

こんな昼間から、どうしたものでしょうね。さっきから何度も窓の外を確認していますが、やっぱり雨が降っています。

 

令和2年5月16日