第10.5投函

生き死にも天のまに/\と平らけく思ひたりしは常の時なりき  長塚節

先日、死ぬことを忘れがちだと、そうしてそれでいいと書いたが、今医療従事者の方々や外出して働きに行かなきゃいけない人たちのことを思うと、そういう風に考えることが、間違っているとは決して思わないものの、無考えで浅はかで何も見えてない人間のそれのように思えてしまう。毎日現実に死の恐怖、不安、大きなものへの怒りに身を浸し続けている人がいる。その一方に私がいる。1秒たりとも家に居たくないのに、居ざるを得ない人がいる。その一方に私がいる。私は自分の生活の、精神の安寧を守りたい。なんとしても守りたい。ごく身近なまわりの人々の安寧も保たれて欲しいし、それに寄与できるのならなんでもするとすら思っているが、見えていない、この部屋から手の届かない人たちの苦しみは全然引き受けない。想像力に乏しいのかもしれない。だけどやっぱり今自分を崩すと、未熟な自分はもろもろと崩れていく一方で、これから先何ヶ月もこうした状況に耐えられるとは思えない。から、出来るだけ辛いものは見ない。情けなくなる。堂々巡りだ。どうしたらいいだろう?知性と体力が欲しい。強くて優しい人たちよ、

 

令和2年4月16日